せっかく学んでもいまだについやってしまうんですが、
「あ、やめよ。」と思えたことがあります。
それは・・・無理すること
無理する場面っていくらでもあるし、無理しているとその自覚もなくなるんですよね。
無理して踏ん張って何か結果を出すと美しいお話になってしまうこともありますが、そうでもないことだと思ってます。
どうせがんばるのなら、がんばってでも無理をしないでおこうと今は思ってます。
あなたはどう?
ある日シビれた。
どなたかが「カッコ悪くても無理はしません」って言われてたのですが、
え?それはかっこいいことじゃない?♡とかなりシビれました。
無理したからこそわかる、無理はしません(だって、いいことにならないから)なんですよね。
だってほら、無理するってカンタンですよね?
すぐ無理できます。
意地悪な言い方をするとその時だけ「いい顔」をする。
簡単に取り繕える。
もちろん無理するのはお客さんや友達、家族のため、親のため。
本当にスタートは善だったのに、愛だったのに「ムリする」トンネルを抜けるとそこは「執着」だった。「偽善」だった。に到着してしまう。
さらに被害者意識というお荷物まで背負ってしまうこともある。
私など「これから無理をする。無理をするけど、絶対に執着しないし、結果には固執しない。大丈夫。」とわざわざ自分で確認して無理をしても終わるころには「せっかくしたのに・・・」という気持ちが芽生えてしまう。(例えば 実は何も貢献できていなかったんじゃないかという話)
あんなに気をつけてたのに…
(無理するけど無理しないという謎ゲームです・・勝ったためしがない)
無理すると崩れるバランスがある。
よく無理をしていたり、無理し続けていると「それ」がわからない。
「それ」っていうのは精神(spirit)と体(body)、心(mind)の3つのバランスが崩れている状態のこと。
長く続いてしまうと自分では本当にわからなくなりますね。
バランスが崩れると病気になるとはよく言いますが、今さらそんなことは百も承知。
それとは違うのですが、私が思うにバランスが崩れていると人にやさしくない、やさしくできないです。
無理していると余裕がないからですかね?
それでね、やさしくないってことはやさしさを受け取ることができない気がします。
受け取ることができないというか、やさしさが見えない世界に行ってるイメージかな。
そんなのさみしいよね。
やさしさをやりとりする世界
最初に出てきた「カッコ悪くても無理はしません」って言うのは、やさしくありたいし、優しさも受け取とれる。そのために自分たちのバランスを崩さないようにするね。っていう表明ですよね。
強いなぁ。 素敵だなぁ。
あなたのために、お客様のために。こんなに無理していますわたしたち、だから・・・(汲んでよね・・)って無理することによってコントロールしようとする人や組織、たくさんある。
いやいやあなたに無理してって言ってないのにね。
大切な人のために無理しても、何かが削がれたり溜まったりして、やさしさをやりとりできなくなったら意味がない。
自分が無理をしてもいけないし、誰かに無理をさせてもいけない。
精神と体、こころのバランスが取れてること、取ろうとすることが大切。
それは思考停止、あるいはただの反応のようなクセで自分で無理をするよりも周りの人にやさしさを伝えることにつながるはず。
そんな風に改めて思った。
29周年おめでとうございます。
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